朝から怪しかった天気は、正午を過ぎた頃に重たそうな雲から銀色の雨を降らせた。折りたたみの傘は部室にちゃんと置いてある。これぐらいなら部活は出来るだろう、そう思いながら目線を数字だらけの黒板に戻した。シャーペンの滑る音は止まらない。すべてがこんな簡単な答えの出る方程式のようになるのなら、面倒なことはないのに。


Sub(No title)
傘忘れてしまったので、入れて下さい。部活終わるの待ってます。

授業の後、携帯を見るとからメールがきていた。
あいつはどうしてこんなに忘れっぽいんだ、と心の中で毒づきながらもこうなることを期待してたのは紛れもない自分だ。そんな自分に苦笑する。


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ありがとうございました、と200人もの声が響き渡り、今日も部活が終わる。練習の途中から激しくなった雨のおかげでジャージはぐっしょりと重たくなってしまっていた。監督への報告を終え、部室に入るとTシャツに着替えた宍戸と鳳がいた。

「なんだ、まだ練習するのか」
「ああ、ちょっと体動かしたんねーんだよ」
「・・・宍戸」
「あ?」
「・・・いや、なんでもない」

自分が今言おうとしたことを考えて、言ってどうすると思って言うのをやめた。
汗なのか雨なのかすでに分からないくらいぬれている体をタオルでふき、制服に着替える。クラスのやつに借りたCDを教室に忘れたから取りに行く、と鳳に言う宍戸の声が遠くのほうで聞こえた。

昇降口に行くと、と宍戸が一緒にいたのが目に入って思わず足を止めた。はいつものように笑ってなどいなくて、少しうつむいてはにかんでいた。今この世で一番見たくなかった場面を聞かれたらたった今の、この瞬間を答えたかもしれないと漠然と思った。

「あ、景、跡部」
「おー、跡部。じゃあな、
「あ、うん、お疲れ、宍戸」
「おう。じゃーな」

俺に気づき二人はそれぞれの空気に入っていく。宍戸は雨の中にまたばしゃばしゃと駆け出していった。
すべて嘘のようだ。
せっかくTシャツに着替えたのに雨の中に駆け出す馬鹿な宍戸も、
ポタポタとしずくをたらす傘も、
突然名前から苗字に変えるも、
俺の額に張り付く雨も、
その場にいるのが場違いなように感じてしまった俺も、
すべて
嘘のようだ。

「ごめんね、景吾ー。玄関に折りたたみちゃんと置いといたんだけどうっかりして忘れちゃったよ」
「・・・ばっかじゃねーの」

想像はついていたが、帰り道、は始終機嫌がよかった。呼び方も景吾に戻っていた。
それがまた気に入らなかった。
(いや、多分ここでずっと跡部と呼ばれていたらもっと気分は悪かっただろう)
(結局、どちらにしろ俺の気分は最悪だった)

「さっきね、教室で景吾を待ってたんだけどそしたら宍戸が入ってきてね」
「あ、宍戸は借りたCDを忘れたから取りに来たらしいんだけど」
「そのときに誕生日おめでとうって言ったら「サンキュー」って笑って言ってくれた」
「何かプレゼント渡そうかな、何がいいと思う?」


「別にいいだろうが、宍戸に対してお前がそこまでする必要ねぇだろ」

矢継ぎ早に言っていたは、はっとして下を向いた。
ついきつい口調になってしまったと思いながらも、悪い、なんて謝りの言葉は到底言えなかった。
今の天気におあつらえむきな重たい空気だ、と思った。


「・・・景吾」

「あたし、なんかね、宍戸が、気になってしょうがないの」


ぽつり、ぽつりと話しづらそうに。
ああ、タイムリミットだ。
背中から冷水を浴びせられたみたいにぴりっとした痛み。
駄目だ、表情には出すな。

「宍戸のことが好きなのか?」

自分の心にタブーにしていた言葉を、ため息とともに吐き出す。

「うん」

どうしていいのか分からないのだろう、耳まで赤くしているは別人に見えた。


「そうか」
「わ、どうしよう景吾。宍戸って好きな子とかいたりするのかなぁ」
「知らねえよ」



抱きしめたい、と思った。でもそれはしてはいけないことなのだと。
これまで欲しいものは手に入れてきた。元来独占欲は強いほうだ。どうしたって手に入らないものなんてないはずだ。
悔しいはずなのに、離したくないのに、離してはいけなかったのに。
宍戸には現時点で特定なやつはいないと知っていた。けれどそれを言うことをしなかった。代わりに、俺は「頑張れよ」なんて、まるで思ってもいない言葉をはいた。「うん」と、照れながら、けれど嬉しそうに笑って言うは、もう俺のほうを向いていなかった。
にとって俺が必要だったわけじゃない、俺がに必要とされていなきゃだめだったのだ。



傘から半分出た肩をさす雨が周りをぬらしてゆく。雨は、針のように細く降っていた。
帰って、着替えて、シャワーを浴びて、それから部屋で本を読んで、紅茶を飲む。
どうってことはないのだ。
もう、一人芝居は終わったのだから。




スティング・シング