夏が嫌なんじゃない。
夏の終わりがくるのが嫌なの。
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目の前にいる男の子は丸井ブン太のはずなのにまるで違う人のように感じた。
お盆に会ったときよりも更に黒くなった気がする。
運動部独特の、光をそのまま吸収したような灼け方。
「うわ、びっくりした」
そう言ったブン太はさほどびっくりしてないような声でぼそりといって、薄いグリーンの色をしたガムをふくらませた。
半開きの玄関の向こうからはテレビの音や彼の弟たちの声が聞こえる。
「何?何かあったんか?」
「・・・・・れた」
「は?」
「家追い出された」
「話がよくわかんねーんだけど」
「・・・・・」
「・・・あ、れ。ピアス開けた?」
すっかり色黒の手をのばして私の髪をぱさりと左耳にかけてしげしげと眺める。
むすっとした顔をどうにもやめられそうになかったのは15分前にぶたれた頬が痛いせいだわ、と思った。
どこに向かっているのか分からないままてくてくと歩く。
前を見て歩くブン太に、横でサンダルをペタペタいわせながらついていく私。
もう十分夜といえる時間の道の中ではぽつぽつとある明かりの下を歩くときしかブン太の顔は見えない。
恐らくそれはブン太も同じで、私の顔はほとんど見えていないはずだった。
それは少し私をほっとさせた。
金持ってないと言い半ば強制的におごらされたサイダーを、
自販機の前でブン太はおいしそうに飲んでいた。
ロゴの入った白のTシャツに立海のハーフパンツ。
そこから出る手足は夏休みに入る前より、少しやせたみたいに見える。
「ブン太、今年の夏もテニス漬けだった?」
「そりゃーな」
「きつかった?」
「もうめちゃくちゃ」
笑って言う彼。
そのキツさがどれほどすごいものなんて私には想像もつかないけれど。
「楽しい?」と聞こうとしてやめた。ブン太がテニスが大好きという事実はもうとっくの昔に分かっていた。
「それ、左だけ?」
「・・・さっき左開けて、お父さんに見つかってぶたれたの」
「・・・・あー・・・」
もともと厳しいお父さんはすごい剣幕で怒ってた。あれはちょっとの十五年間の歴史の中でも一番のこわさじゃないだろうかと
思うくらい。それくらいの勢いで怒られた。「体を自分から傷つけるなんてもってのほかだ」と普段から言ってたのを覚えていて、
罪悪感が全然ないといったらそれは嘘になるから余計に自分のなかで始末が悪かった。
「なんで開けたの」
「・・・・・・ブン太のせいだよ」
「へ?」
うつむいたままの私の顔を不思議そうな顔で覗き込んでくる。
意味わかんねーよ、と言ってサイダーをさらに一口飲んで炭酸に少しむせてた。
なんて夏が似合うのだろうと思った。
真っ黒の体も、ひざのばんそうこうも、
ぜってー全国優勝する、と言う力強い声も、射るようなまなざしも、自信に溢れた表情も。
彼を彩るものすべて、そう、すべてが夏の空気に混じっていって大人っぽくさせているように思える。
ブン太があまりにも早く前に進んでいくから私はたまらなくさみしくて情けなくなるのだ。
好きなもの、打ち込めるもの。何かがほしくてたまらないのに何も見つからない。
頑張ろうと思って入った部活。
夏休みに入る前に引退したバド部は、最後の大会ですら地区予選の一回戦負けでもちっとも悔しくなかった(バドミントンなんて
別に好きじゃなかった)(でも最初からこんなつもりだったわけじゃない)
分かっている。大半の人間はそんなものだ。
打ち込めるものを見つけることが出来る人なんて本当はそんなにいないってことも知ってる。
理想と現実の差をまだ認めたくないのかもしれない。
だってテニスをがんばってて、こんなにも生き生きしている人の隣で平気にしていろというのが無理な話だ。
辛くても辛くてもそれを好きと思えるのは一つの才能だと思うんだけれど、もう今はそんなことはよかった。
どんどん前をいくブン太に少しでも追いつきたいと思った。
なんとか追いつこうと思って、でもうまくいかなくて、
気づいたら今年の夏休みも結局何もなく終わりそうで、とにかく何でもいいから何かしたくて、
思わず近くにあった安全ピンを手に取って。
ピアスなんて開けてもなんにも起こらなかった。
ぶたれた頬と穴を開けたばかりの耳がじんじんとするだけで。
すべてがうまくいかなすぎてもう笑ってしまいそうだ。
「あたし一生こんななのかな」
ブン太は何も言わず、あたしのほうをゆっくりと向いてピアスの開いた左耳を優しくなでた。
ソーダを持っていた手はひやりと冷たく、違和感のある耳が鈍くしびれた。
「が左なら俺、右耳に開けようかな」
そんなやろうとも思ってないこと、言わなくていいのに。
いつの間に身につけたの、そんな優しさ。
前はもっと不器用だったじゃんか。そしてあたしは目の前のブン太を自分が少し見上げていることに気づいてしまった。
なんかまた背が伸びたみたいだ。伸びないでよ。
なんでそんなどんどん先に行ってしまうの。
「は焦りすぎなんだよ」
左の耳たぶを撫でられる感触。テニスをしている人らしいごつごつとした手に
似合わずあんまり優しくて泣きそうになる。
「ばーか・・・」
「うっせ、バカっていうほうがバカなんだよ」
「優しくしないでよ、ブン太らしくない」
「!?」
「、うそ、ありがと」
そう言って、また耳を撫でてもらって。
こうしていつも優しいブン太に甘えてしまって。
けれど決して振り切ることをしないブン太だから、あたしは追いつこうと思えるのだ。
優しく耳におかれた彼の指を自分から離すようにする。
大丈夫だ、まだ頑張れる。
もう一本ずつサイダーを買って、一気に飲んだら家まで走ろう。
とりあえず、現段階での目標は残りの夏休み三日間、夏のまだまだ強い日差しから目をそらさないことだ。
***
一年前に、企画に出させていただいたものです。