アユちゃんは、今日忍足に告白するそうだ。四時に呼び出すって言ってた。黒板には明日の日付と真ん中にふざけた落書きが残っている。
すでにチョークまみれになった黒板消しで一度落書きの部分をなでたら白い粉が舞った。
四時まであと3分。私の気持ちがどうあろうと、時間は止まってくれはしない。



ガッ!
突然呼ばれて思わず黒板消しを落としてしまった。粉がふわっと舞って、ゆっくり落ちていく様子を妙にじっくり見ていた。なんか、雪みたい。

「何しとん」

くっと一つおかしそうに笑うと忍足は黒板消しをかがんで拾った。

「ご、め。ふかなきゃ。忍足いいよ帰ってあと私やるし!」
「ええよ、手伝う」

いいと言うのに忍足はもう後ろを向いて雑巾のかかっているつっぱり棒の方へ歩いていた。
どうして呼ばれてる本人がこんなにのんびりしてるんだろう。私がこんなに焦っているというのに。
それとも私がおかしいのだろうか。
下校の放送が流れる。
ああ、四時だ。

「なんで行かないの」

バケツに水を張って戻ってきた忍足にしゃがんだまま聞くと声が床に吸収されてくみたいに感じた。
一瞬、骨ばった手が止まる。

「何?」
「なんで行かないの、もう、四時過ぎてる」
「・・・何が」
「・・・・分かってるくせに」
「言ってることがわからん」
「聞いてるもん、アユちゃんから」

ぴた、と雑巾をしぼろうとする忍足の動きが止まった。
彼がゆっくりと息を吐き出す。それがやけに艶めいていた。
二人が言葉を発しない時間がすごく長く思える。



は、本気で行ってほしいって思っとるんか?」

忍足はすべて分かっててこんなこと言うのだろうか。アユちゃんが呼び出した理由とか、私の気持ちとか、私が一番クラスで仲がいいのはアユちゃんだとかそういうの。
口を開いてみたものの、うまく息がすえなくてコホッと一つ咳をした。
バケツの水には忍足の顔が映っているけどそれはゆらめいててどんな顔してるかまでは分からない。
ごまかすように床を乱暴にごしごしとふくと、腕をつかまれた。

「なんやねん・・なんかゆえや」

つかまれた手がおもいのほか熱くて驚いた。

「忍足、手、熱いね」
「ごまかすなや」

もしかすると今顔を上げれば普段見ることの出来ない表情の彼が見れるのかもしれない。でも今の私には顔を上げる勇気なんてなかった。忍足は少なくとも一番仲のいい男友達で、でも好きなのと聞かれても好きなんてはっきり言えるような感じじゃなくて。そんな私に何が言えるというのだろう。
「実は私忍足君が好きなの」

そう言ったのは私の親友で、私はそれを黙って聞いてしまったのだから。
それでも今の状況をどこかで嬉しいと思ってる私はなんて汚いの。

「分からん?止めて、ほしいねんけど」
「・・・・あ、アユちゃんは忍足が」
「は?なんなん?それ」
「・・・・」
「何やねん、ずるいわ自分」

なかば突き放されるように手を離されてお互いの汗でしっとりとしたそれは突然冷えた空気にふれて身震いした。
私はそこでようやく顔を上げてみたけれどそこにはいつものポーカーフェイスしかなかった。

「・・・俺は、行ったほうがええんか?」

首を振りたいはずの私は知らないうちにうなずいていた。

「・・・ほんなら、俺行くわ。床、あと悪いけどやっといて」

忍足が教室を出て行く。
忍足の後姿に私はもう二度と会えないのではないかとふと思った。
ガラガラと閉まる教室。
きっと忍足はアユちゃんのところへ行くんだね。まだ四時十分。きっとアユちゃんはまだ待ってるよ。
ここまできて私は自分が泣いてることに気付いた。馬鹿みたい。
これでよかったんだ。嘘つき。
今更何を言うの。本当は、ずっと

引き止めたいならさっき泣いていればよかったのに。きっとそれだけで彼は何もかもをわかってくれて、そして行かないで、それから。今言っても仕方のないことが延々と頭に流れてくる。私は本当にどこまでも汚い。汚い。醜い。
バケツの中の水は、さっき忍足の入れた雑巾のせいでまだ円がいくつも出来ては消え、揺らいでいる。
いつまでたっても渦が消えないように、私はゆっくり濁った水をかき回し続けた。





淀んだ水の底にはいくつもの嘘